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一つの結論

両親、義理の両親はとても子ども孝行(こんな言葉を使えるのか?)な人達で、
子どもに頼ることなく、そしていつも親切に接してくれてきた人達でした。

ほぼ同年代のこれらの人達が、80歳を過ぎたあたりから、
少しずつ体が不調になり、子ども達が気にかけなければならない時間が出来てきました。

物理的に割かなければならない時間が問題なのではなく、
「老い」という現実をいきなり突きつけられたようで、少なからずショックをうけたように感じます。

義理の両親の介護、看護、そして「死」。
母の急性鬱。

自分のこれから迎える「老い」というものの現実をまざまざと見せつけられているようで、
暗澹たる気持ちは覆い隠せないものでした。

その理由は、「老い」ることで、何も出来なくなることへの不安だったように思います。

何かを失っても、気持ちがあれば何かできる

子ども達にも、これは言えると、と確信してきたけれど、

目の前の、気持ちが萎えてしまった「老い」た人達には何も出来ない、と思えて、
自分の老いた姿を重ねて暗澹たる気持ちになっていました。

でも、今回の帰省で、その思いは変わりました。

そもそも、母の全て(何をもしたがらない状態でも)を
受け入れようと心に決めて帰りましたが、

母が「存在している」ということが、「何かをしている」ということだと

理解しました。

母と対峙するのではなく、母と同じ位置に立とうと思った、その私の変化で
母が元気になったのではないかと思います。
私が思いを変えた辺りから、電話の向こうの母の声が元気で、
今回の帰省時の母は、びっくりするくらい気持ちが元気になっていました。

母がいてくれて、色んなことに気付かせてくれる。

やっぱり、母という「存在」が私を成長させてくれています。
ありがたい。

感謝です。


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